2012年7月7日土曜日

小さいときのこと

最近、昔習っていたバレエ教室のことをよく思い出す。
私は上京するまで、佐藤典子舞踊研究所付属バレエ教室、というところに通っていた。


3歳のある日、母親につれられて見学に行ったとき、稽古着も着ずにそのまま輪に加わって、それから今まで踊りを続けることになった。
踊るのがなんで楽しかったのかはもう覚えていない。
お稽古は週に一回で教室は歩いて数分の所にあったから、嫌にならずに続けていたんだと思う。

私の一番最初の記憶はおそらくバレエ教室だ。
お稽古が始まる前に教室の掃除をみんなでするのだけど、床拭きのぞうきんで鏡を思いっきり拭いていたら祖母に止められた、というものだ。
時系列で辿れる一番古い記憶。


私の先生は佐藤典子先生という方だ。
日本における現代舞踊の黎明期を作った石井漠先生の義妹である石井小浪先生のお弟子さんである。
漠さんと欧州ツアーなどしたのち独立された小浪先生は児童舞踊に力を注いでいらっしゃた方で、佐藤先生もその意志を受け継いで出生地である静岡県磐田市で児童舞踊の教室を開かれた。


佐藤先生の教え方は、友達が通っていたような他のバレエ教室とは少し違っていた。
バレエを習っている、といえば、学校が終わって毎日お稽古があるのが普通だが、私は基本週に一回のお稽古。
静岡県西部に20位お教室があって(多分今でも)、だいたいが週に一回の稽古だった。
かつ、コンクールに出場する機会は一切無かった。というか舞踊においてコンクールがあること自体、あまり知らなかった。
だけど、踊ることに優劣はないとなぜかその時の私も分かっていたので、特に何も思わなかった。
だけどそのかわり、地元のお祭りや、国体の開会式で踊ったこともあったし、中国の芸術学校と提携公演をするために中国に連れて行ってもらったりした。


基礎としてはクラシックバレエをやるのだけど、作品はひとつのテーマによって創作されたものだった。テーマは「金魚」「不思議の国のアリス」「祭」「ふきのとう」とかそんな感じ。もっと色々あったけど…
いわゆるモダンダンス。トゥシューズをはかないバレエ、裸足でやるバレエ、というとだいたいの人が納得してくれる。
私にとって踊ることは、始めから、何かテーマを表現するためにあった。もしくはテーマそのものになりきる、というところから踊り始めた。
児童舞踊は、情操教育の一環としてある。感性豊かな子供を育成するのが目的だ。
技術を高めるということより、みんなで「このときこれはどういう気持ちで踊ればいいのか」、みたいなことを先生や他の生徒さんともよく話し合っていた気がする。
だから、ふきのとうやったときは、「私はふきのとうだ」と思いながら踊るのです。ふきのとうの気持ちを考えるわけです。ふきのとうの衣装着てね。
ふきのとうは当時の自分でも衝撃的過ぎて、衣装も音楽も振付も割と覚えている。

身体が柔らかくなくても、下手くそでも、そんなに怒られることはなかった。基礎はそりゃもちろん必要だけど、表現の技術(や見せ方)の方に重きが置かれていた。


インターネットで調べていたら、いろいろ記録が出てくるものだ。
いまや教室もHPを持ち(最初見たとき驚いた)、過去の資料や公演の情報をネットに載せている。
佐藤先生の講演会の記録とか新聞の記録とかもいろいろ載っていて、読んでみた。
遡れば当然、小浪先生のこととか、漠先生のこととかもなんとなく知りたくなってくる。
家系図を紐解いてるような気分。



帰りたい、とか、戻りたい、ということより、今ならわかるかも、と思ったのだ。
私はあそこで何を習っていたのか、なんとなく知りたい気分になったのだ。今頃になって。
だって少なくとも15年間はそのお教室で踊らせてもらって、というか私すでに22年踊っていることになるんだけど、そのうちの15年を過ごした場所について何にも知らないということに驚いた。
影響を受けていないはずが無い。

つまるところ、どれだけ新しいものや刺激的なものにたくさん触れたところで、それを知るだけで自分のものにはならない。
自分にとって新しいもの、自分の中に生まれる新しさじゃなきゃ意味がないのだと思う。

なんでもそうだけどさ。
まぁ至極当たり前のことだ。

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