2012年7月18日水曜日

動きながら考えること

消していくより、蓄積させていくこと。
昨日考えたことを今日否定してみる、疑ってみる。

人格が崩壊しそうなんだが笑、
そうして、もっともふさわしいものを選んでみる、探してみる

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散らばってゆく身体、散らばっている身体。
より強く、より細かく、身体を意識/分析する中で、身体はバラバラになっていくように思える、例えていうならば。
だけどそれらはすべて、一つの身体の中で起こっていることであり、一つの集合体の身体。

より強く、より細かく身体を意識/分析していても、“意としない”何かが起こっている、もしくは起こる可能性を持っている。
散らばっているのは、運動のベクトルで、身体は一つにつながっている。身体はちぎれることがないんだよね!

統一されているから、はみ出るもの
散らばっているのは、一つだから



予想のできない動き、が欲しいなぁ、と一つ理想として、自分の映像見ながら思うのです。
一年前位から自分の映像撮っていて、たまーに、はっとするような動きとか切り返しが一瞬、あるのです。
目に見えないほど速い動きが生まれたり、謎な軌道や動きがあったり。
新しいものほど、それが少しずつ増えている。
まぁ定点の、しかも映像だから、なんとも言えないけど。

自分の身体を支配するというより、深く分析して感じてそのまま動いてみるとどうなるか。
きっと予想もつかない動きになるんじゃないのかなぁ。という予想。

そしてそれを、形として再現するんじゃなくて、そういう動きを生みだす身体の使い方を考えている。
全部がそれになる必要はない、というかはっとするのはその前後にそうではないものがあって、その一瞬の繋がりの予想不可能さが面白いのです。

所謂、自分が今までやっていたような振付の面白さに飽きたってのはある、なんというか「この振り面白いなー」ってやつ。
それより、なんというか、動きの中で偶然的に産まれる身体の不思議、目に焼き付けられる一瞬の何か、
そういうのを見たいのじゃ、私は!って私に言い聞かせている。

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