2013年4月10日水曜日

ダンスの感想、理想

少し前に私が即興で踊ったのを見て下さった方から、お手紙を頂いた。


その方は今まで、ダンス自体目にすることがあまりなく、どう述べれば良いか分からないけれどと前置きしながらも、見た時の感想やその後思ったことをとても丁寧に文章にまとめてくださった。

私がその手紙を受け取って何より嬉しかったのは、内容も去ることながら、大分日が経っているにも関わらずその時の感覚を思い出しながら手紙を書いて下さったその方の熱意だった。

ダンスのような、そのときその場で行われるものは物質としての形に残るものではないから、当然終われば形なく消えてしまう。
クサイ言い方かもしれないけれど、ダンスがどこに残るかといえば、見てくれた人の記憶の中のみ。
だから、その方が記憶の中に私のダンスを残しておいてくれたことが単純に嬉しかった。
私にも、忘れられない感覚を味わった、今でもはっきりと思い出せるダンスの作品が幾つかある。



ダンスのことはあまり詳しくないから、と尻込みしてしまう観客に対して、それでもいいから何か感想を言ってくれ、というのはダンサーの傲慢この上ないと常々思っている。もし、ダンスがそんなところにしかないのなら、いつまでも"理解されない"ダンスなんだと思う。

精通しているわけではない人が、ダンス作品を目にして非常に興奮して感想を言っている姿を見たことがあるだろうか。
自分がダンスにどれだけ詳しいとしても、その人の感覚には絶対に敵わないと思わされる。一流の観客とでも言うべき人が、居る。
そして一流の観客の体験したものが、一流の観客を生み出すものが、本当のダンスなんだと思っている。

私自身は、その感覚を、音楽を通して知っている。


ダンスは間違いなく、"難しいもの"ではない。"理解されたい"と思って踊ることすら、ある意味的外れだと最近気づいた。
でも、"難しいものじゃないんだよ"というダンスを踊ることが、そんなことどうでも良いと思わせることが出来るだけのダンスを踊ることが最も難しい。
自分のやっていることに共感してくれる人を増やしたいんじゃない。人を惹きつけるに十分なくらい、自分のやっていることを高めたい。


そんなこんなで、自分のダンスが、世の中にどうやって在るのが良いのかということを最近よく考える。
そういうことはつまるところ自分のダンスそのもの。

強がりだとは分かっていても、誰かに与えられる価値に縋る必要はないと思っていたい。
何に価値を見出すか、何処に価値を見出すか。自身の内に見出された価値が結局、ダンスそのものだと思う。


世間知らずの理想論ってことで結構よ。たぶん、そんなもんだよ。
私にとって、ダンスのことだけは、それくらいで良いです。

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