2013年8月22日木曜日

身体をゆるめる

運動科学について研究している高岡英夫が書いた『からだには希望がある』という本、ブックオフでふと手に取った。
内容が割と興味深かったので、自分の興味と併せて自分の言葉でざっとまとめてみる。

高岡英夫は自身が武道や気功に長けた人物であり、現在は運動科学研究所というところで研究をしているそうだ。その方法論はスポーツを志す人はもとより教育や音楽にも応用されているとのこと。
youtubeにも高岡がTVで簡単な体操を指導している様子がいくつかあがっていた。背の高くてすらっとした、髪が天パの柔和なおじさんだった。

この本は前半に高岡の身体に関する考察、身体をゆるめるということ、呼吸法、さらに気の扱いについてなど。
後半にその実践の解説。


この本で取り上げられていてとても興味深かったのは、身体をゆるめるということ。

例えば一流のスポーツ選手の立ち姿は、力むのではなくすーっと伸び上がるように、ともするとゆらゆらとしているかのように見える。
イチローやタイガー・ウッズなど。決して筋肉質な身体ではないものの、その立ち姿は美しい。

それを建築物に例えるならば「柔構造」であるということ。これは五重塔の構造から導き出された建築工法で、現在高層建築の建設には欠かせないものだ。
五重塔は中心に一本、決して太くはない柱がまっすぐ伸びているだけで、ほかの部分は互いにずれあうような、ゆるゆるに連結している状態だったという。この構造は地震や風によって建物に掛かる揺れの力を逃がすことを可能にし、耐久性がとても高い。
その反対は「剛構造」、これは建物のあらゆるパーツが微動だにしないようにつなぎ合わされているものを指す。
低層建築にはこの工法が向いているそうだ。

人間の身体が立っているのもこれと同じようなもので、剛構造の状態で立っている人は微動だにしないよう、力んだ状態で経ってる。
対して柔構造の状態で立つということは、身体が常にゆれていることを受け入れ、その中心/重心のバランスを探り続けている状態。
簡単にいえば、柔構造の柱に当たるのは体幹の筋肉と呼ばれるいくつかの筋肉なのだろう。諸々の動作を行う筋肉より、身体そのものの姿勢を作る筋肉。


人間に働く最も大きな力は重力である。地球の中心にむかって引き寄せられる重力を受けながら人間が立つということは、重力に抗するようにしてちょうど釣り合いの取れているということを指す。
柔構造で立つ人はある意味力を抜き筋肉に入れる力を最大限削いだ上で、常に身体の中心を意識して立っている状態。
仰向けに寝た姿勢で肘をついて腕を直角に曲げていると、積み木がうまく積みがっているように力を入れなくても静止できるポイントがある。
腕を上げたまま寝られるという人の話を聞いたことがあるけれど、そういう状態なのだろう。

かといえ立っている場合において、五重塔における中心の一本柱は人間の背骨に当たる、とは決して言い切れない。
常時身体の中心を探り修正していく(この機能は人間誰しもが持つ機能である)ときの基準、それが重心線であり、身体がすーっと立ち上がるように見える人はその重心線が見せる印象である。
始めて立つ赤ん坊は、筋力が無いにも関わらずバランス力のみでフラフラと立つ。人間は元々誰しも柔構造としての立ち方をするはずなのだが、時を経て形成される筋肉や身体の歪みや強張りから柔構造としての立ち方が難しくなっていく。

また柔構造の身体を持つ人は、常に自身の身体の中心を意識していることで、自分の身体の外にあるモノの中心を見極める力が高いという。それはスポーツに限らず、日常生活動作においても見受けられ、例えばジャガイモの皮むきをする時に均一の厚さで皮を剥けるということはジャガイモの中心や包丁の中心をきちんと意識することで可能になる。中心は身体の内部だけの話ではない。

また柔構造であることは、洞察力にも関わってくるという。物事の本質を見極める力にも関わるという。中心を見抜く力、そこに身体の中心を意識する事が関わっているのだと。


身体をゆるめるということは、この本のみならず色んなところで目にする機会が多い。私だけだろうか。興味があるから目に付くだけか。

それだけ力を抜いて身体をゆるめるということはとても難しいことなのだと感じるが、当たり前だがただ身体の力を抜けばいいということでもない。
力を抜くにも、それ相当の身体や意識の使い方が必要になってくるし、どうしても解剖学に触れざるを得ない。
骨の仕組みとか、少しだけ知識があるだけでも全然理解が違う気がする。


ヨガのレッスンをするに当たっても、まずは自分が自信を持ってインストラクションできることも大事だけど、自分なりの知識をきちんと自分の言葉で伝えられるようになりたいものね。

頭だけで考えた言葉は絶対的に弱い。身体から言葉を紡いでいかないといけませんと教えられた。

0 件のコメント:

コメントを投稿