2014年12月30日火曜日

2014

今年は残念ながら生第九を逃した…!
まぁ、邪な気持ちで仕事するのはいかんね。

中で聴いた先輩は、今年一年色々あったことが走馬灯のように溢れてきて今にも泣き出しそうだったとか。

そんな2014年も残り僅か。
リスト編ピアノ版第九聞きながらひっそり今年のまとめ。


2014年は非常に盛りだくさんな一年でした。

今年の始めには一ヶ月に1回のソロダンス本番を3ヶ月やるという無謀なチャレンジをしました。
まるで禅問答を繰り返す修行僧のような心持ちの3ヶ月でした。
とりあえず何もかも晒しきり、とりあえずやればできる!という自信はつきました。

夏は大学の非常勤講師で集中講義を担当しました。
週一の授業ならまだしも、いきなり集中4日間。手探りもいいところだったけど、自分が今まで出会ったろくでもない先生や教授の顔を思い浮かべながら、自分が楽しまずに誰が楽しむのかー!と暴走した4日間でした。
ありがたいことに来年度も声をかけて頂けたので、もう少し成長した感じで頑張ります。

秋からは週4できちんと一箇所で腰を据えて働き始め、始めたものの、今までスルーしてきた大人の仕事(?)というものに翻弄されまくっています。
理不尽なことは多い気がしますが、精神すり減らしながらも絶対にこの経験は無駄にならないと半ば強引に思い込んで耐えています。
恐らく本当に、無駄にはならないと思います。

…よく、「人生に無駄なことなんて無い」なんて美談がありますが、経験したことが結局その後の人生を作っていくのだから全くその通り以外何ものでもないんだと思います。その人生が果たして素晴らしいものなのかどうかは息絶えるまで分かりませんが。
当たり前すぎることですね。

そしてダンス映画を撮る準備を始めました。
これがまた、正解の見えない果てしない作業ではあるものの、今出来るダンスを形に出来たらと思っています。
私的には3年ぶりにきちんとした振付を作る作業を自分に課し自分でびびっていたものの、意外とさくさく作れていて拍子抜け。


途方もない回り道をしている気がします。

ダンスだけに純粋に打ち込む知人友人たちを見ていると、自分はなんて効率が悪いんだろうと思います。
でも私は、自分のダンスのためにその効率の悪い道を選びました。

踊るためにはこの身体が生きていないといけない。それだけ。
かつて踊るために死ねるような予感があったから、それではいかんと思っているだけだけど。

ダンサーってなんでそんなに不健康で面倒臭いんだ!ってこの間言われちゃった。そう思う!



いろんな人と会って、いろんな人と話をした一年。
思いやりに触れて、嬉しかったことも悲しかったことも、全て無駄ではないと思う。
誠実さってなんだろうってたくさん考えました。
他人を大切にしたいという自分の気持ちを大切にしたいと心から何度も思いました。
そういう至らぬ私を丸ごと受け止めてくれた人がいるからこそ折れずにやってこれた気がします。
ありがとうございます。


2014年を目の前にした去年の今頃は何をしてただろう。
バッハのトッカータ死ぬほどリピートしながらげっそり稽古してたかな。

2014年、良い一年だったよ。


皆様へ感謝を込めて。

良いお年を。
大掃除は明日にします。

第九、良い曲だー。

2014年11月14日金曜日

,

ドランの『トム・アット・ザ・ファーム』見てきた。

私がドランが好きなのは、
もはや、作品に対するものというより、この監督が作品を作ってることそれ自体に対するものに近い。
ゆえに、ともすると盲目的。
だけど、そうまで惹きつけられる儚さを感じる。
映画を作ることや表現することへの愛を感じる。

そんなことはどんな映画にも当てはまるんだろうけれど、それをたまたま全身に浴びた快感は中毒的なものになる。
私自身の鑑賞体験としての思い入れ。

だから、それらは、どこか裂けている。


作品やモノを作ることは、自由そのもの。
自身を解放しうる唯一の手段。
他人のために身を尽くし対価を貰う、例えば仕事とは全く逆のベクトルなのだ、私にとっては。

仕事のためには、誰かに届けるために試行錯誤した言葉を使うだろう。
しかし自分の中で何度も添削しより正確さを増す言葉が、それと同じであるとは限らない!
発生のところ、自分の中に他人を置くかどうかという点で違いがあるんじゃないだろうか。
易しさ、優しさ。
違うのか?

他人のことを考えすぎる。
考えすぎるから考えられない。
頭が悪いのか、効率が悪いのか。

何もいらない!
必要なものはたぶん、はじめから全て揃っている。
だから、先へ進むために。


久しぶりに稽古をした。
一人、稽古場で、ストレッチして、歩いて、寝て、音楽きいて、動いて、
踊る気持ちよさと、自分の動きの甘さに対する許せなさだけが残る。

だけど、帰り道の風景はいつもより色鮮やかに目に映る。

そういうものだけが、そこに、積もっていく。

2014年10月20日月曜日

ダンス映画の準備

ダンス映画の準備を細々と。

時間が合うときにとりあえず集まっては話をする、を繰り返しています。

先日は国際ダンス映画祭を4人で見にいってきました。
台風が関東に差し迫る中18作品を3時間以上かけてコンプリートするという、なかなかにストイックな行事でした。

出来上がるものはまずは映像作品の予定ですが、それぞれお互いの専門分野から思うところがあり、今回集まった我々にとってベストな進め方、ベストな形を探るのに時間をかけてみているところです。

話をしながら思うこと。
映画にしろ、ダンスにしろ、それぞれの表現方法にとって要となる部分、
つまり映画が映画であるための条件やダンスがダンスであるための条件は、それこそ本質的な事柄すぎて、当たり前ですが言葉で説明するのはとても難しいことです。
それを敢えてプレゼンテーションしては議論を繰り返しているような感じ。
でも時間を置きながらお互いの話を消化して新しい話を聞いてると、相手が何を大切にしたいのか、言葉ではなく言葉と言葉の間の、思考の流れみたいなものが感じられるような気もします。

付け焼き刃な異ジャンルのミックスは中途半端になりがちだと思うから、思いっきり話をしてからやるのもいいかな、と思います。
しかしながら全てを投げ打ってものを作ってた学生の頃より生きて行かねばならない自分たちの切実な状況もあって(1人は修論提出前だけど!笑)、全ての時間を捧げるわけにはいかないことが心苦しくもあります。でも、何か一緒にものを作れるのは楽しくて幸運なことです。

何よりも映像作品を作ってみたいと思ったのは、今回話を持ちかけた関さんの監督する映画に院生のとき私が出たことがあり、彼の指示を受けてカメラの前に立つ自分の身体が面白かった(出来た作品は当時恥ずかしくて直視できなかったけど)ということがきっかけです。
その作品は、今映画研究で博士にいる同期がえらく気に入ってくれているらしく、監督すら知らないところで何度も学生の前で上演されてるらしいです。笑
後に残るものってコワイなぁとしみじみ思います。笑

今月中には、まさかの浜松へ、半ば勢いというか現実逃避的なロケハンツアーが予定されています。
行けるのか、そして、帰ってこれるのか。笑


涼しくなってきて、いよいよ冬が来るなぁという気候!
コート買うか迷ってる。

気がつくと毎日がぐんぐんすぎていくけれど、勢いに飲まれて大切なものを見失わないように、丁寧に穏やかに過ごしたいと思っている今日この頃。

2014年9月7日日曜日

近 況 報 告

こんばんは。伊藤麻希です。

季節はどんどん巡って、気づけば暑さを通り越え肌寒ささえ感じる季節になってきました。

体調は崩されていませんか?
気温の変化に身体が慣れない季節の変わり目には、特に注意が必要です。

という文言をレッスン前に言うことが最近増えました。


私、今日のお昼のレッスンを持ちまして、遅い夏休みに入りますの。
とはいえ水曜日までですが。いや、3日休めればいい方なのか?
もう、よくわかんなくなってしまったよ。とりあえず旅に出るよ。


ありがたいことなのか管理不行き届きなのか、お仕事がいっぱいいっぱいになってきて、どう計算しても時間が足りなくなってきました。
不休で働けば済む気もしますが、きっと、お休みはあった方がいいと思うのです。
こんな状況、予想もしてなかった。
しかしどんな形であれ、先に繋がるチャンスを逃すのは惜しい。

のんびり暮らしたいのです、将来的には。
気持ちに余裕のある生活がしたい。
本を読んだり、音楽を聴いたり、踊ったり、映画を見たり、身体のこと勉強したり、植物を眺めたり、無駄なこと色々考え事したり、お話したり、たまに美味しいもの食べたり、
…まるで定年後の老人みたいだな。

そのためにも今ちょっと頑張りどころな気がしてるので、頑張ります。

仕事自体はとても面白いです、向いている仕事なんだと思います、インストラクター。
人前に立つ度胸だけは昔から自信あるのよ。



そんな最近なのですが、新しい作品の話も着々と進んでいます。
懲りずにやりますよ。だって楽しいんだもの。

今回はいつもとはちょっと違う面子と組んで製作します。

院生の同期と後輩と組んで映像の作品を作ろうと思っています。
現時点メンバーは、映画監督と、映像製作と、ダンサーと、まとめ役兼マスコット兼物知り先生。

今日も少しだけ打合せをしました。
私の漠然としたイメージをたたき台に話を進めているのですが、毎度話す度自分に足りなかったものや新しい発見があって目からウロコがぼろぼろです。

今日話したのは、"欲望"について。

大抵、後輩先生が最もらしく院生ぶって話をまとめるのですが、悔しいことに彼は頭がいい。説得力がある。
(何故だろう、私たちも院生やってたのに!笑)
映身に居た頃に学ぶべきはずであったものを、ありがたいことに今更後輩の講義で学ばせていただいております。


今回は実際の製作前に話し合いを重ねる時間があり、異業種交流、お互いに何を目指して作るのか話してるだけでわくわくします。
せっかくの機会、納得いくところまで全力で作り込んでみたいと思う。

近いうちにちゃんと情報公開できたらと思っています。


さて、現在実家に帰る道すがら。
実家と、もう少し先まで足を運んできます。
楽しみ。と、どきどき。笑

2014年7月12日土曜日

近況

こんばんは。まきです。
久しぶりの日記、しばらく書いてなさすぎてひとり動揺です。

最近はレッスンのお知らせとかさくっとfacebooktwitterに投稿してしまうので、いよいよ長い文章を書かなくなってしまいますね。
別に長文を書かなければならない義務はないんだけれど、白紙に思いついたことを自由に書き記しておくのは好きな作業なのです。


最近のことをまとめておこうと思います。

仕事してます。当たり前だ。
やっとこさインストラクターの仕事が多くなってきました。
ヨガとバレエが中心です。いい加減インストラクターの個人HPでも作らねば、と思っているところです。

一応、インストラクター用のブログは開設してあるものの、まったく投稿してない現状。
当初は「やっぱりイントラは毎回楽しげなレッスン風景とかアップしちゃって集客しなきゃでしょ~!」とかニヤニヤもくろんでいたのですが、
正直レッスン後に記録用ノートに走り書き残すので精一杯です。
忙しくレッスンさせていただいて、ありがたい限りです。


現状、仕事をしてる場所としては、
近所の区立体育館で大人向けのバレエと代行でたまにヨガ、
高田馬場でヨガと大人・子供それぞれのバレエ、
根津の高級サロン(自称。いやでもまじでそうらしい!)でヨガ、
それから、大学での健康スポーツ実習と題した集中講義の担当としてこの夏まさかの非常勤講師デビュー(だって院でたんだもの!権利使わなきゃ)、ちなみに内容はヨガ、
あとは昔からお世話になってる村本すみれさんが玉井くんと新しく作った日本橋のstudio RADAというところでヨガ。
その他にアルバイト的なこともいくつか。

でも、ひとところで働くよりも、例え電車での移動時間であったとしても一人自由に動ける方が私としては性に合ってるみたい。(実際ひとところで働いたことないので食わず嫌いなだけだと思うけど。)
そして幸いにもいろんなところでお仕事の声をかけて頂けることに感謝。
自分で言うのもなんだけど、そんじゃそこらの若年インストラクターよりは身体に作用させる語彙を相当多く持ってる自信はある。実績や経験値ではまだまだだけど(笑)

ここに至るまでずっと踊ってきて、身体のことについていろいろ考えたこと、誰かに必要としてもらえることはとても幸せなことだと思います。
なんというか、好きなことを仕事にするってこういう形もあるんだと、なんとなく思っています。

小さいころからずっと踊ってきて、今、華やかな舞台の第一線で踊りたいという気持ちが全くないと言ったら嘘になる気はするけれど、
何より、私がここまでダンスを続けてこれたのはダンスを通じて人間の身体の面白さをたくさん学ばせてもらえたからだと思います。
それをいろんな人と共有できるこの仕事は本当に楽しいです。

今日もレッスンに高校や大学の友人が何人か来てくれました。
みんな私がやってるからいいきっかけだし、くらいに思っているかもしれないけれど(笑)、
私の短い生涯を通じてどの時期の友人も私がダンス馬鹿だということは知っていて、私のダンスを見てくれていて、中には私にしごかれて踊った経験のある人もいて(笑)、それで私のレッスン興味を持ってくれるというのは純粋に本当にうれしい。ありがとう。


自分のダンスの作品制作に関しては、しばらくは「仕事」にしないと決めております。
私は私自身のために、好きに自由に踊りたい。
だからダンスだけじゃなくて、いろんなことを経験して私自身がもう少し成長したと感じたら踊ってみようと思っています。
その時自分がどういう風に踊るのか、私が一番楽しみなのです。
「私は私の人生を踊っている」というピナの言葉、結構好きなのです。

何よりも、いつまでも興味のつきないこの身体のことをたくさん考えたり調べたり踊ったり、いろんなもの見たり聞いたり触ったり食べたり誰かと会ったり話したり寝たり出掛けたりお風呂入ったりだらけたり泣いたり笑ったり、なんかそういういろいろが楽しい。


というわけで、
ヨガ、バレエ、やってみたい人集合!連絡ください。

書いてみたまとめとしては、長い。そして私、浮かれてる。

2014年6月7日土曜日

27

先日、27歳の誕生日を迎えました。

そりゃ毎年歳を重ねれば27にもなるさって感じだけれど、自分が27歳になるってのはなんだが不思議ですね。
って毎歳思う気がします。


27歳は、色々今までやってこなかったことやできないと思って避けてていたことをいろいろやってみようと思います。理由はお父さんにそう助言されたからです。笑
長い目で見て、何をどう続けていけるか、何を大切にできるのか見極めたいと思います。
仕事も生活もダンスも。

これまで瞬発力で積極的にマイウェイを邁進してたので、受身というか?笑 いや、流れに流されて洗い流してみるって感じかしら。

「身体は変えられる」と思います。ダンスしてる身としても、インストラクターやってる身としても。
イコールではないけれど、「自分も変えられる」となんとなく思います。変えたいという気持ちがあれば巡り合わせもきっとある。
確固たる自分像に縋るのもどうかと思います、そうはなっていなくても思っています、どうやら、私。それは恐らく昔から。

仕事の都合上身体は酷使していますが、あんまり気合入れて作品作ったり踊ったりは最近ひと休みという感じです。
一呼吸置いて、自分に何かこれまでにない感じを見つけるまで、見極めるつもりです。
守りたいものがあるから、安売りはしない。多分、大丈夫。


先日、上野にバルテュスの作品を見に行きました。

作品、どれも面白かった。
絵画が、絵画でしかない。
どの作品にも、「描きたいものを描く」それしかなくて、描かれたものはどんな言葉にも置き換えられなくて、ただただ絵の前に立って筆跡を目で触れながら愛でながら感じるだけの満たされた時間でした。

それが果たしてダンスだったらば、どうすることができるだろうと考えました。

もう既に、それを知っているのかもしれないし、知らないのかもしれない。
気づけていないだけのような気も、なんとなくします。

と、友人であるハラサオリのダンスを見ながら考えました。

いつまでも足りないから、がんばれる気がします。


ということで、梅雨、
今年こそレインシューズを買いたいと思ってるけどまた気づくと梅雨が終わってるんだろうなぁ。

2014年5月7日水曜日

さいきんのこと

のんびりとした春を満喫しております。
過ごしやすい気候、一年の内この時期が一番好き。

最近見たもの遡っていくつか。


・ゴールデンズ

昨日は、大駱駝艦の金粉ショー、ゴールデンズを池袋大道芸で見てきました。
いつか見たい、と思っていたものの、ついにここまで見ることが叶わず。
先日一緒に飲んでいた友人に話してみたらえらく興味を持ってくれたこともあり、道連れにして見てきました。

西口公園が会場だったのですが、始まるからカメラマンのおじさまたちがものすごくやる気で場所を陣取っているんですよね。
あれ、カルチャーショックでした。
物見遊山、観光的なデジカメで気楽に撮影とかじゃなく、アイドル撮影ばりの望遠レンズを装備した一眼レフがずらり。
撮った写真は一体どうするんだろうか?と疑問が頭を過りました。
金でもいいのか。金だからいいのか。いや、、

しかし金色に塗られた身体は、それはもう、なんとも言えないきれいな見世物でした。
出演者は今回皆様女性だったのだけど、女の私からしても胸の形が非常に美形!
始めはきれいだなぁと思って見ていたのですが、徐々に骨と金粉の間で揺れる肉が異様にデフォルメされて見えてくる気がしました。
不安定なピンヒールで支えられふらつく脂肪の揺れが、足からお尻、腰全体に響いていく様はまさにこれでしか見られないものでした。
ショーの終盤、金色の境界を越えてこちら側に染み出した汗の雫が宝石のように輝いていたのが目に焼き付いています。


・講演会

立教大学でお世話になった宇野さんの講演を慶応で聞いてきました。
舞踏について、土方と親交のあった宇野さんの話を聞く会という運びでした。

私は宇野さんの話している様子が好きです。整然と言葉が並ぶ文章ももちろんだけどそれより、宇野さんの言葉の選ぶ様子、間、連なり、話し方みたいなものがスリリングでとても好き。

修士制作の作品を宇野さんに見て頂いたときのことをよく思い出す。
作品を一通り見た先生が感想をぽつりぽつりと話す。その言葉を待ちながら、言葉が選ばれていく様を目の前で見ているのは、なんだかとても幸せな時間だった。
どの言葉が相応しいか、先生の中でより適切な言葉が幾重ものフィルターにかけられているのがわかる。それにも関わらず届けられる言葉は全体的に疑問形というか自問のような言葉の数々。
正直なところ、そして残念なところ、何を言われたのかは覚えていません。が、とにかく満たされていて幸せな時間だった気がします。

宇野さんの言葉運びには、いつも愛がある。
それは、話している対象への揺るぎない愛情や尊敬、そして何よりも言葉そのものに対する畏敬、そういうものが満ち満ちている。


・歌舞伎

久しぶりに歌舞伎見てきました。
身近に大変熱心な歌舞伎ファンがいるものですから、ほいほいついていくだけで私自身これと言って詳しいわけではありません。でも面白いです、歌舞伎。

今回印象に残ったのは、曽根崎心中。
坂田藤十郎がお初、息子の翫雀が徳兵衛。親子でラブコメ。
まぁそれはしょうがないから置いといて、惹かれたのは演出でした。

ラスト、駆け落ちする二人は森で心中するのは誰もが知っている結末。
さあ森に来た!、死を前に苦悩する二人!、これでもかとうじうじしておいて、さてやっと徳兵衛がお初を刺そうかって短剣振り上げたところで幕引きだったんですよね。
客席ぽかーんってかんじ。
書くとなんでもないのですが、これだけ死ぬのをためらっておいてさてどんな風にラストシーンが…!って客席の期待を高めきったところで強制終了。
あれは衝撃的だったなぁ。
脚色・演出は宇野信夫さん。覚えておこう。



あとは、
友達にご飯作ってごちそうしてもらったり、8か月ぶりに美容院行ったり、東京タワーを目指して歩くつもりが消灯していて三田を徘徊したり、久しぶりに東京タワーに昇ってお土産屋さんを満喫したり、焼きはまぐりがノンストップで出てくる居酒屋に行ったり、仕事用の新しいバッグを買ったり、健康的なごはんを食べた後マックでハンバーガー食べたりしました。

さて今週末は実家で、高校の同級生の結婚式だそうで。
母の日のプレゼントと、祖母へのバースデイプレゼントを持って帰ります。

2014年3月30日日曜日

allele 全3回公演、無事終了。

allele]、3ヶ月に渡る3回の公演が無事に終わりました。

ご来場頂いたみなさま、気にかけてくださったみなさま、支えてくださったスタッフに、は感謝しかありません。
ありがとうございました。

連絡先の分かるすべての方にお礼のメールを出し終えて今、
ようやく本番を終えて自分の中で作品のことを冷静に見ている気がします。


さて毎度のことながら、愉快な話とか全然できないんだけど、書く前からぐったりするくらい長い話になる気がするけれど、まぁ私の日記だからいいよね、
今回の公演の反省会です。お時間ある方は読み進めてみてくださいませ。

…ってね、こうやってくどい文章をそのまんま書いてしまうのが私の欠点だと、
なぜか今回の作品で思い知りました。


先週末だったか、新しいヨガのクラスを担当させてもら(えるかもしれない)うスタジオで、オーナーの方に私のレッスンのやり方を見て指導してもらう時間というのがありました。

そこで言われたのが、私の指示の出し方がご丁寧にいちいち文章のように話すものだからテンポが悪い、ということでした。
例えば、「…そうしましたら息を吸って、その体勢をキープしたまま右手を前に出しましょう」みたいに、言葉数がやたら多い、と。
インストラクターって長時間1人でずっと喋ってるものだから、無言が怖くなってしまうのです。
ゆえについ、自分が流れるように喋ることを優先してしまって、お客さんの動きのテンポを乱していたようでした。
ちなみに上記のものは、「吸ってーー、右手を前にーー」で済みます。単語でいいと。

言葉数を減らすようにしたら私自身も落ち着いて話せるようになった気がしたし、一つ一つの指示が明確になる気がしました。何より、実際に指示を聞いて動くお客さんのテンポに意識を向けるきっかけをもらった気がしました。


そんなことを考えながらも稽古は続いていました。
でも指導を受けたその夜の稽古では、自分のダンスにもそれが響いて、少し頭の中も動きも軽くになったように思います。

軽くなったら、自然と音の聴き方も変わりました。
自分が音楽と踊るときに聴くべき層のようなものが掴めた気がしました。
普段聞いているところから一度ピントをはずして、ぼかすようにすると、ふわっとした流れのようなものが聴き取れる感じでした。


そんなこんなで稽古を続けていると、次の課題が表れます。

本番の前々日くらいだったか通し稽古しているときにふと、今の私のダンスや作品に"意外性"が足りないなと思い至りました。
それはそのまま、本番中も考えてました。

良くも悪くも、馬鹿正直にがっちりやりすぎていて、はっとさせるような、惹きつけるようなポイントがないなと思っています。
それはおそらく、地面にクッションを敷いておいた上で繋いでいた手を放して落とす、みたいな感じのもの。
クッション用意してないけど手を放す(どうなるかわかんないけどね!)、みたいな荒業は私にはできません。
今は多分、クッションを用意してないのでとりあえず繋いだ手を離さないように全力で掴んでいる、みたいな感じだと思います。

なんとなく、自分で思っている以上に、全体の印象が重いのだと思います。
よく感想でいただく意見に、「頑張っている気迫が伝わってきました」みたいなものがあって、結構必死でやってるからその感想はうれしく受け取るのですが、なんかもっと軽やかに裏切れないものかね、と今回思いました。
見てくれた友人から、「解放感」がないと指摘されました。なんか、くやしいけど、そうだなと思いました。


そんなことをここ数日考えていたらふと、
解放感のない重さってそのまま私の人となりを表しているじゃないか、と昨日仕事中に気づきました。
そして、そんなようなことを人に言われたり、私自身自覚したような出来事が一気に脳裏を埋め尽くして気持ち悪くなりました。
意外性がないと自分で自分の作品に見出したことも、言ってみれば私の人となりに人を惹きつけるような意外性が足りないんだと気付いたも同然でした。

まったく恐ろしいですね、
なので今、割と落ち込んでます。



話は変わって、

3か月連続公演をしてみた感想は、
やってよかったなぁ、です。非常に大変でしたが。
なにより、同じ場所で出来たのがとてもよかったです。
そして、快く力を貸してくださったキッドアイラックには感謝しきれません。

本番が終わるとまた本番1か月前になっているというループは最初こそ恐怖でしたが、
良いのか悪いのかわかりませんが3回目ともなると終演時の達成感みたいなものがまったくなくなって、純粋に次の課題だけが残るという修行僧のような心持になりました。
でも、次に繋いでゆくためのテンションの作り方は出来た気がします。

残念だったことというかなんというか、本番近くに仕事がないと喜び勇んで稽古場を取っている自分。その分収入はなくなるはずなのに、はたしてオフを喜べばいいのか悲しめばいいのか分からなくなっていました。

まぁここしばらくは働きます。
もう少し生活が軌道に乗ったら、また作品作ります。

それまでに、意外性とかもろもろの課題について、考えてみます。


桜咲く春がやってきて、街も色めき立っていますね。

季節の変わり目ですから、体調にお気を付けくださいとかメールに書いていた私が久しぶりに風邪をひきました。
一昨日から咳が止まりません。
身体は確実に弱っているはずなのに、本番が終わりご飯を食べる理由を完全に見失ってしまって、途方にくれています。


ひとまず、この辺で。

とにもかくにも、お客さんもスタッフもみんな、公演を成立させてくれたすべての方に感謝。
本当に、ありがとうございました。

2014年3月17日月曜日

allele 3回目にむけて、最近のこと

日増しに春が近づいてきていますね。

ベランダに放置していたボケの苗木も、もう枯れてしまったのではないかという心配をよそに新芽と蕾をつけていて、暖房器具の貧しい私の部屋にもいよいよ新しい季節が足を伸ばしています。

allele3回目の本番に向けて稽古をしています。
何を思ったか、かっ飛ばして月に一回公演をしてみましたが、今回で一応一区切りです。
前2回にやったことを含め、3回目は集大成の公演になるようにしたいと思っています、とはいえやはり新作になっているのだけど。

今後も半年から一年に一本は作品作っていきたいなあと思っているところです。

最近のことや稽古で考えていることも含め、少し長くなりそうだけど書き記しておきたいと思います。


今回の公演の大きな目標は、自分の生活を作るところにありました。
単純に言えば仕事と稽古をやりくりすること。

ダンスは、自分の身体を使ってするものです。極論を言えば、生きていけなければ踊れないのです。生きることが、踊ることとってなによりも必要なのです。人生のやりくりも、少なからず自分のダンスを創る要素です。
ピナの言葉を借りるのであれば、「私は私の人生を踊っている」、自分がどう生きるかということも、ダンスにすべて表れると思います。

だからといって別に、センセーショナルでスキャンダラスな、人目を引く生活をしなければならないとは思っていないけれど、自分のやりたいことをするという自分に対する誠実さを通すために頭を捻っているところです。

正直、結構大変です。まぁ楽だったらつまらないので、よいのですが。
現段階ではぎりぎり、足りてない感じですね時間もお金も(!)。やる気だけはあるってことは身に染みて感じます。


それから、作品のこと。

この作品はなによりも、バッハのトッカータという曲がなければ生まれなかった作品です。
トッカータとは、即興曲という意味で名付けられているもので、バッハのみならずたくさんの作曲家がトッカータという形式の作品を残しています。
バッハのトッカータは、通し番号BWV910番から916番まで、7つの小作品があります。

一回目からずっと使っている915番。
この曲との出会いはコンサートホールでの仕事中、ピアノコンチェルトの後のソリストアンコールでとあるピアニストがこの曲を演奏したのを耳にしたのがきっかけでした。
それまでこの曲は知らなかったのですが、曲が始まってすぐに引き込まれえらく感動し、仕事後にすぐ調べた覚えがあります。
美しく折り重なる複雑なメロディは一音一音や和音が美しいというよりも、前の音今の音次の音と連なることでうねるような動きがあって引き込まれます。この曲で、というより、この曲のように踊りたいと心から思いました、制服で仕事中に(こういうことがたまにあるからあの仕事辞められない)。

ピアノという、限られた数の鍵盤から数えきれないほどの曲が生まれることは本当にすごいことだと常々感心します。ピアノに限らず、どんな楽器においてもいえることだと思いますが。
どの音を選ぶか、どのようにメロディを形つくるか、一音一音の選択が無限の可能性を持っていることの偉大さを身に染みて感じます、ダンスもまた同じだと思うからです。

さらに言えば、私はソロで踊るときは一つの楽器で演奏される曲が好きなのですが、その理由として楽器が自分の身体でありダンスが音楽であるという聴き方が一番心地よいということがあります。この聴き方がベストかどうかはまだわかりませんが、現段階ではそういう感触があります。
演奏者に思いを寄せ音楽に自分の身体を添わせて動けるときはぞくぞくして、鳥肌が止まりません。まさに自分がこの音楽と踊っていることの実感を得られる気がします。


それから、テーマのこと。

ダンスを作品として形にまとめるとき、内容やテーマといった「伝えたいこと」の存在がいつも頭を過ります。過りますし、作品としてそういうものが必要であることは十分に承知しています。
しかしながら、いまだテーマというものを当たり前に設定することに踏み出せない自分がいます。きっとこの先もずっと悩むポイントだと思います。

これまであまり疑うこともなくテーマから作品を作るということをさんざんしてきて、うまく出来ていた気がしないし違和感がぬぐえなかったのが原因です。テーマとして設定する言葉とダンスの間にどうしても乖離がある、それは私が言葉によるイメージを十分に省察していないことによるのかもしれません。もしくはダンスの方に余分なものがくっついているのか。

しかしここ最近私のダンスで面白いのは、踊る私の考えていることがそのままお客さんに伝わっているということです。
こちらは45分くらい自分の集中力を切らさないということを一番の目標に掲げているのですが、非常にクリアに私の精神状態がそのままお客さんに伝わっているようです。
「頑張ってるね」ってよく言われます。まさに頑張ってるので間違いではないです。


そんな中ぼんやりと、今回のalleleという作品のテーマは何かと言われて浮かぶのは「私は踊りたい、踊るためにどうしたらいいか」というなんというかテーマなのかよく分からないようなことです。
伝えたいことは、「私踊ってるよ!」ということです。

そのためにも、数ある可能性の中から1つを「選ぶ」ということが重要です。
限られた数の鍵盤から1つの音を選ぶように、一つの選択が先の選択肢を生み、枝分かれしていく様子。
alleleという言葉は生物学の用語で、意味は「対立性遺伝子」です。

あまり大仰なテーマを設定せず、今かすかに思うことを少しだけ。
タイトルのalleleって、アレルって呼んでます(ほかにアレレとかアリールとか読むらしい)。かわいいでしょ、名前みたいなものよ。


昨日とあるパーチーで、ダンスの評論家に言葉を扱うことの重要さをとくと語られました。
そのせいなのか、久しぶりに長く文章を書いてみようと思いつきましたが、長くなる一方なのでこの辺で。
自分のダンスについて話せと言われれば正直一晩明かすくらい言いたいことはいろいろあります。

今日稽古しながら思ったことは、話すように踊りたい、ということでした。
弾む会話のように、連なってあふれるイメージのように、言葉にして表すこともしないことも、そこに隠れる思いやりや感情も、なにより、独り言ではなく自分が話す人でもあり聞く人でもあるということ、相手がいるということ、すべてひっくるめて。


おっといけない、宣伝するのを忘れるところだった。
allele、ラスト3回目の公演は
3/26(水)20:00開演(19:40開場予定)
@明大前 KID AILACK ART HALL
前売・当日共に1500円、2回目3回目の方は1200円。
予約はmaakiitoo@gmail.com

どうぞよろしくお願いいたします。


南向きの窓から差し込む春の日差しに騙されて、薄着で外出してしまいがち。
体調など崩さぬよう、お気をつけて。