2016年5月30日月曜日

「サイト」、ありがとうございました!



2016520日~22

サブテレニアン10周年記念月間参加作品
fundada3回目の作品公演となる「サイト」

無事に終了しました。

         

プレビューもあわせて4回の公演でしたが、回を重ねるごとにお客様も増え、私ひとり史上集めたことのない人数のお客様に作品を観て頂くことができました。

2年前の前作をご覧いただいた方も足を運んでくださったり、プレビューを見て本公演のご予約くださった方が何人もいらしたのが本当にうれしかったな。


それにしても、コンテンポラリーダンスって見たことがない、という人がほとんどの客席。
それでもみなさん楽しんでいただけた様子、感想でいただく言葉がどれも豊かで誠実でとてもうれしかった!

ご覧いただいたみなさま、気にかけてくださったみなさま、
ありがとうございました。



2つの作品で構成されている公演でした。

©竹内準
ひとつめ、新作「サイト」
「見ること」や「風景」をテーマにした作品です。

今回の作品を通して強烈に感じたことは、「ダンスって伝えたいことがこんなにはっきり伝わるんだなぁ」ってこと。
10年前、「何も伝わらない!」といっつも怒ってた私に教えてあげたい。
©浦野俊之
公演後のアンケートで印象的だったのが、ダンサーを観て感じたこと→「風」と書かれていたこと。本当に驚きました。

私はまさに自分のなかに風を起こして動いていて、あの閉塞した暗闇の劇場の中で風のイメージを創れたのは、なんていうか、こういうことできるんだなぁって。笑

©竹内準


風の身体と、照明の光と、音響とダンスの作る広さ、レイヤー。
それらが私が劇場で作りたかった、「風景」、「自然」。





ふたつめ、「譚々(たんたん)」

©浦野俊之
 今回は、織本卓くんにパーカッションをお願いしました。

この作品は3年前に作った作品で、今回再演でした。
初演を観ていた方々からは、ドラマーの子痩せたの?って言われましたが別人です。笑
©竹内準

なんでこうしたんだろ?って覚えてない分からない部分も多くて、楽器すら変えていろいろ変えて試してみたけれど、なんだかんだ初演と似通った形になりました。

だけど最終日まで構成を変え続け、文字通り毎日違う作品になってしまった!


賛否両論、好みの分かれる作品でしたが、織本くんの動きにみんながうっとりしていたのでよかった。
またどこかで再演したい。




それから今回の公演で特徴的だったのが、アンケートを凝ってみたこと。
かなり好評でした。計算したら回収率78%。

作品の感想、というより、作品を体験して自身で感じたことを表す用紙としてアンケートがあってほしくて、公演当日まで形式を練りました。
アンケートだって公演の一部、私の作品です。

私が作りたいのは、劇場へ足を運んで作品を観るという体験を含めた出来事のすべて。
だからこそ、小さくてもいいから劇場の公演をこれからも作りたい。

次は、公演期間をもっと長くしてみようかな、と思っていたりする。
まぁ公演はまたしばらく先かな。


©竹内準

さて、公演が終わりまして次へ。

今回、私の作りたい世界観や、やりたいことは、出来ていたようです。
稽古中もいろんな人に作品を見てもらい、「こういうテーマでこういう世界観を作りたい」と言うと、それは出来ている、と言われる。

ただし、それは果たして、舞台作品として完全なのか?
舞台の作品であるならば、もう一つ必要なことがあるんじゃないか?
ということを指摘されました。漠然としていて、うまく言えないんだけど、なんか足りない…。破綻のような、緩急のような…。

この点については、今回達成できていないかもしれない。次の作品の課題。
面白いね、まだまだ。


来月、立教大学でアルトーのシンポジウムで作品を発表する機会を頂きました。
急ですがどうやら、新作を作ります。短めだろうけど。

最近はつとめて参考文献インプットなしで踊ってきたので、この良い機会にアルトーさんに沿ってやってみようと思います。ひゃー
相変わらず詩が読めない…

ここ数日はアルトーさんが頭から離れません。




最近思うこと。

身体に対しても、その身体が知覚する世界に対しても、鈍くなっていくことはものすごく簡単で、気付きにくい。かつ、鈍くなったとしてもとくに日々の生活に支障はない。そしていつの間にか可動域の狭い、伸びの悪い身体になってゆく。

だけど身体は、すでに全てを持っている。

恐れるべきは感覚を手放すこと。
しなやかでいたい。
さぁ、究極の、"普通"になろう。

2016年5月13日金曜日

fundada-③ 「サイト」公演のお知らせ と 稽古日誌

昨日の「譚々」の稽古🎵
2回目通して、ひとり反省会をする織本氏、構図が美しい…

譚々は、初演よりさらに余分なものを削ぎ落としています。
2人で30分弱、その場その限りで創り上げる濃密な音と光の空間をお届けします。

あーと一週間じゃーーーー😇😇




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fundada-③
「サイト」

新作「サイト」と、
N.N.N.4 (2013年、STスポット主催)参加作品「譚々(たんたん)」の2本立て上演。
サブテレニアン10周年記念月間参加作品。

新作[サイト]は「風景」と「見ること」をテーマにしたソロの作品です。
目に心地よく静かな興奮のある作品にしたいと思っています。
[譚々]はドラマー君とのデュオ、シンプルな構成でただただ踊ります。
2年ぶりの劇場公演となります。
ぜひ劇場で、作品の時間を体験してみてください‼︎‼︎

fundada web:  http://makinissi.blogspot.jp

サブテレニアンweb:  http://www.subterranean.jp

◇日時
5月
20日(金)20:00~※プレビュー公演
21日(土)14:00~/19:00
22日(日)14:00

・プレビュー公演は、新作[サイト]のみ上演いたします。
・開場は各回開演20分前

◇料金
前売: 2,500円
当日: 3,000円
プレビュー公演(20日のみ): 2,000円

◇予約・問い合わせ
maakiitoo@gmail.com
メール本文にお名前と希望公演、枚数、ご連絡先ご記入の上送信くださいませ。

◇場所
サブテレニアン
080-4205-1050
173-0013 板橋区氷川町46-4 B1F
東武東上線大山駅から徒歩7分
都営三田線板橋区役所駅から徒歩3
http://www.subterranean.jp/#!access/c1fvs

2016年5月2日月曜日

新作[サイト]によせて。踊るときに考えること

今、[サイト]という作品を作っています。


作品について考えること、稽古をしているときに考えていることや気になっていることを書いてみたいと思います。



・作品のテーマ

この作品は、「風景」や「見ること」をテーマとした作品です。

フライヤーに使っている写真は、光が丘公園です。
フライヤー用に、自分で撮りました。
日が昇る前の早朝に公園へ自転車を走らせ、撮りに行きました。

すごく冷える朝でした。

ベンチに座って、空の色の移り変わりを見ていました。
その身体はそれ以上でもそれ以下でもなく、ただただ「見ている」身体がまるごとここに在る、という感じ。

空気はとても澄んでいて、刻一刻と色づいてゆく空は非常に美しく感動しました。
この美しさは何なのだろう、と眠い頭で考えました。



・感動するということ

自分にとって感動するということはどういうものなのか、ということを最近よく考えています。

私は幸運なことに、世界で活躍する超一流のクラシック音楽の演奏家が演奏するのをいろいろ聴き比べることが出来る環境にいます。
そこではたまに「感動するというのはこういうことか!!」、と思わされる表現に出会うことが出来ます。
音楽は言葉を越える、ということの現実、それは言葉以前、身体がそのまま持っていかれる感じ、圧倒的なものに飲み込まれる、引きずり込まれる。
何かを満たしてくれる。何を?

そして、その感動する自分をよく観察するようにしています。
その自分を、自分の稽古動画を見るときに発動します。
つい、作っていると自分の都合でモノを考えがちで、それで自分で袋小路にはまり答えを見失ってきました。
作る自分と感じる自分が都合よく分かれてしまわないように。
自分を叩きのめします。



・感動する自分の観察

私はインストラクターの仕事をしているのですが、たまに他のインストラクターのレッスンに出るようにしています。
そのレッスンの最中に考えたことを自分のレッスンで思いだし、自分のこうしたいよりも、レッスンを受けている人の感覚を忘れないようにしようと思っています。

それがきっかけで、いろんな芸術作品に触れたときにも、感動する自分の観察をするようになりました。
いや、今までしていなかったというよりも、見逃しがちな、ともするとどうでもいいような、自分では当たり前だと自分で思っていることも、どうしてそう感じるのか細かく丁寧に意識しています。
感動だけでなく、自分がそれと接したとき、何を感じ、何に気づき、何を考えるか。
自分に問いかけます。



・アートの本質

アラン・ビュブレックスという仏人アーティストの展示を先日観に行ったのですが、そこで彼が語っている「アートの本質」が明解でした。

→「違う物の見方を提示すること」

別に斬新な提案でもなく、おそらく世の芸術家はみんなみんなそう言っていると思います。
が、私はこのタイミングで、彼の言葉が響きました。


私の作っているものは、はたしてダンス作品なのか?と思うこともあります。
それ以前に「ダンス」というモノ!
私が思っているダンスとあなたが思っているダンスが絶対に同じだという保障はありませんよね。

私は私の方法で、「ダンス」を作るのです。
見る人自身の身体の感覚が少しでも変わるように。


ダンスはあふれている、問題は何をダンスとするか。
たとえどんな身体であれ、美しく動く方法がある。

どんな動きでもいい、問題はそれが純粋でスマートであるかどうか。
その動きは掴めないもの、流れてしまうもの、ほんの一瞬、次の瞬間にはもう、ない。

消えていくもの、とどまることのない流れ、それは自然。
それでいて、そのたった一瞬に普遍性をもつ。深さ。



・ダンス

小学生のころ、バレエで他の子が踊っているのをみて「この子の何か一つの動きは、世界中の誰よりも最も上手に踊れているものかもしれない」と想像していました。

私のダンスが、世界中の誰よりも上手だと思える、その動きは?形は?
冗談だと笑ってないで、本気で考えられなければ踊ってはいられないと思います。

私が踊る理由とは。



・美しさについて

鈴木大拙の著書で触れた、東洋思想における「自然」考え方はとても鮮烈でした。

→「自然であるということは、ものをそのものたらしめるということ」

さあ、これを自分の身体でやってみようじゃないか。

移り変わる空の色、風に吹かれる木々の揺れ。
又その形。ひと目では分かりにくい成長/老いの表れ。
眺めていられるもの。眺めていたいもの。見逃したくないもの。

そしてその身体を眺めるという体験をするあなたの身体へ、
美しさを共有できますように。